八王子の由来や、歩んできた歴史をご紹介します
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八王子市の概要 八王子市は、東京23区地域から西に離れた場所に位置しています。地形は盆地状で、北・西・南は海抜200m〜800mほどの丘陵地帯に囲まれ、東は関東平野に続いています。 江戸時代は甲州街道の宿場町、織物のまちとして栄え、大正6年(1917)の市制施行から周辺町村の合併を繰り返し、現在の市域へと変遷していきました。 八王子のあゆみ 今から約1万5千年前、八王子は関東山地と武蔵野台地の境に位置し、寺前遺跡から発見された旧石器から、この地に人が住んでいた事がわかっていると伝えられています。この地域の農家は昔から農業や養蚕、機はた織りが中心の仕事でした。 鎌倉時代には武士集団「横山党」がこの地を本拠地にし、勢力を広げていましたが、南北朝時代になると、上杉に属する武蔵同守護代大石氏が15世紀の初めに高月・滝山城を築き、台頭しました。その後、伊豆から相模へと勢力を伸ばしていた北条氏が、上杉氏を越後に追いやり、地域を支配することとなります。 1590年、北条氏が滅び、この地は徳川領となり、江戸時代に入ると現在の市街地のあたりは甲州街道の宿場町として栄えます。徳川家康は西の守りとして八王子に守備部隊(千人同心)を置きました。千人同心たちは現在の千人町あたりに住み、軍事的な任務のほか、学問・文化にも大きく貢献しました。 この頃、八王子周辺の村々では、織物が集められ「八王子織物」として出荷していました。また、明治時代には日本の主要輸出品である生糸が長野・群馬方面から八王子に集められ、「絹の道」を通り横浜へ運ばれていたこともあり、織物業の近代化を支えました。 明治26年(1893)に三多摩地区は神奈川県から東京府に移管され、大正6年(1917年)東京府下初の市、八王子市が誕生しました。 太平洋戦争が終わりに近づいた頃、米軍機の空襲により、八王子市街地の90%が焼け野原となりましたが、終戦翌年、戦災都市復興計画を元にまちの復興が始められ、1995年に人口50万人を突破し、現在に続く発展を遂げました。 八王子の名前の由来 「八王子」という名は全国に分布しており、牛頭天王(ごずてんのう)と8人の王子(八王子)をまつる信仰がその起源と言われています。戦国時代末期、北条氏照がこの地に築いた城に、守護神として「八王子権現(はちおうじごんげん)」をまつった事から、「八王子城」と呼ばれるようになり、これがそのまま地名になったと言われています。
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